彼女との喧嘩について -美女ゲットナンパ番外編-


本命彼女のひとりと大げんかが続いている。
ひとりとだけ。
正直、かなり精神的にやられている。


自分からはケンカをふっかけないスタンスだし、
ケンカをどうするかというよりも、そもそもケンカが起きない関係をどうやって構築するか、
という点についてかなり俯瞰的に考え対策を講じてきた自負はあったが。


とにかくヒステリーになってしまう。
怒鳴る、なじる、の大げんかとなってしまう。


結論的には、この解決法は「失う覚悟」となる。
正解と対極となる態度が「すがりつく」「懇願する」「こびへつらう」「依存する」などである。


新規+数人運用の現在の状況だと常にキャパオーバーなので、
これ以上は稼働は割けないという物理的理由に加え、
とにかく自分にとって都合が悪い場合は、それに対して「NO」を強く言う勇気を持つことだ。


自分の人生だ。文句は言わせない。
自分の人生の主人公は自分であり、その他の人ではない。
たった一度きりの人生、何かを我慢している暇はない。


と、なるはずだったが。


これがまた厄介なものが存在するのだ。


それは情というものである。


失う覚悟で接した後の彼女。
それはもう、ヒステリーになりつつも、
憐憫の情を感じざるを得ないのだ。


なぜ彼女がそうなってしまっているのか。
それは自分に自信がないから。
それゆえ常に不安を感じてしまうから。


まるで泣きじゃくる小さい女の子のようになってしまっている彼女。
子供っぽい女は嫌いだ、と唾棄することもできるだろう。
自分は精神的に自立した女性が好きであり、そうでない女性とは時間をともにしたくない、
という正論だって言えるだろう。


だが、人間そんな理論だけでは動いていない。
感情というものが存在する。
それがまた最大級に厄介な存在になる。


彼女に冷静に対応する。
その時、心が痛んでしまう。
彼女の姿を見て、グサグサと心に何かが刺さってきてしまう。


もちろん、彼女の要求通りの行動をすることが正解でないということは周知の事実である。
彼女がしてほしい、ということを素直に実行すれば、
なぜか彼女に愛想を尽かされる、という結果になるのである。
(多くの男性は一度は経験する、女性関係七不思議の代表的なひとつである)


正解、というものに近いものは知っている。
自分の中で、確固たるこれだ、という方法論やテクニック群は数多く存在する。


だが、その際の使用者の心情について、
それについて解説されていたり、ケアの例がある教えというのは、
自分が学んできた範囲では、ほぼ存在してこなかった。


簡単に切れたら誰だって苦労はない。
心の痛みや、情に対する対策は難しい。


結論はあるにはある。それは「時間」だ。
時間はすべてを洗い流してくれる。
過去の悲しみも。
苦しみも。
恋い焦がれた想いも。


すべてを洗い流し、色あせたものにしてくれる。
漂白し、殺菌し、無菌で害のないものにしてくれる。


それは十分にわかっている。
だが、今の気持ちに対する、今の対処法は残念ながら見当たらない。


文章にして吐き出すという行為も、ひとつの対処法だろう。
気晴らしには十分になる。
しかしそれも所詮は気晴らし程度である。


自分が人生の主人公であることは十分知っている。
ストレス無く生きるには、自分にとって都合の悪いものをしっかりと避け、
自分にとって好ましいものを周囲に並べて生活することが一番だということも知っている。


そうやって生きてきた自分の中に、彼女はぐいぐいとバリアを破って中まで入り込んできた。
そして、バリアで守られた内側の部分で大暴れをしている。


即刻追い出すべきである。だが、彼女は、自分の身をボロボロにしながら大暴れをしている。
彼女自身も自分の内側をさらけ出し、弱い部分を守りもせず、血だらけになりながらぶつかってきている。


様々な方法論はある。しかし、情という厄介者の存在に。
久しぶりにがんじがらめにされている。


ブログを書くメリットについていつも声を大きくして宣伝してきたが、
ブログにはデメリットもある。


それは、ブログが(図らずとも)有名になってくると、
書きたいことが書きにくくなってくるという現象だ。


自分も昔のようには書きずらい、と、多少なりとも感じてしまっている。


だが、それでも書くのだ。
思っていることを。
どんどんと。


別にどう思われたっていいのだ。
ざまあみろとか、自分のまいた種だとか、自業自得だとか、当然ながら思われるだろう。


だがそれでいいのだ。知ったこっちゃないのだ。
自分が書きたくて書いている。これが自分だ。自分という主人公の人生だ。


相手の気分で自分の気分が大きく揺さぶられる状況は、一番嫌いだった。
だがこれもすべて噛み締めていくしかない。


こういうときは気分転換をしたり、憂さ晴らしに飲みに行ったりするのが普通だろう。
しかし自分はしない。
なぜならこれも自分の人生だからだ。
全部受け止めて感じ取って、噛み締めて、
飲み込んでやろうと思う。






コメント

  1. m より:

    あるがままに生きる事に憧れながら、しがらみに囚われて生活する事が習慣化してます。

    等身大の姿勢や言葉は、刺激を受けます。

    精神面を強化する為に、してらっしゃる事がありましたら参考にしたいです。

  2. じゅん より:

    記事の投稿ありがとうございます。良い意味で読者のことを気にせず書いていただきたいで構いません。チバ様の人間味が伝わってくるので、私はメルマガやブログを楽しみにしています。この記事は、まさにチバ様が主人公になっているんだなと感じました。演算ではなく。そんな姿をさらけ出してくださる姿勢に勇気をいただきました。

  3. たぴおか丸 より:

    チバさんとは規模は違えど、自分も似たような状況にあるので凄く共感し、自分の考えも少し纏まったような気がします。
    自分のような読者には、この記事をチバさんが書いてくれてよかったと思います。もっとも、読者のためだけにこのような記事を書いたわけではないと思いますが。

  4. ななし より:

    既婚者で妻とは10年以上になりますが何度も大喧嘩してきました。ですが、とても愛しています。
    私は大喧嘩できる間柄というのはお互いを心の底から信頼できると認識しているから、感情的になれるのだと思います。
    「バリアの中に入り込んでくる」と書かれていますが、それだけチバさんにとって信頼できる相手なのだと思います。
    譲れないところは譲る必要は無いと思いますが、互いの考えや価値観を尊重し合ってうまい落とし所が見つかると、より素晴らしい関係になるのでしょうね。
    応援しています。